第250回 意匠学会研究例会 発表要旨

■DIYインテリアをめぐる実践と趣味の現状 ─消費者としてのデザインからの脱却を通して─
神野 由紀/関東学院大学

 近現代における一般生活者のデザイン史については、大量生産品を購入する判断基準としての趣味の問題が存在する一方で、大量生産ではない手作りを志向する生活者の動向もあり、双方からの検討が必要である。デザイン史研究の中で、生活者の主体的なデザインを「民主的なデザイン史」と捉え、その実態を明らかにするという視座は、日本においても注目されるべきである。発表者はこれまで戦後日本の生活者、特に女性たちが手作りを通して何を表現し、結果的にどのような趣味を選び取ってきたのかについて、インテリア手芸やその後のハンドメイドを例に明らかにしてきた。本発表ではインテリア手芸の終焉後にハンドメイドと並行しておこってきたDIYインテリアの動向に着目した。1990年代、欧米でも大手企業による大量生産を否定するようなオルタナティブな文化が興隆し、対抗文化の間接的な影響を受けつつDIYが注目されていくが、日本でもバブル崩壊後の1990年代後半以降、同様に古い物、手作りのものを愛好する若者が増え、新しいDIYの流行を生み出していった。
 日曜大工からDIYへと変化したインテリアの自作は、男女ともに実践する趣味となっていく。本発表ではこのDIYインテリアがどのようにジェンダーを継承、あるいは超越するような結果となっていったのか、そして近代以降、量産品の消費者であり続けた生活者が実践したDIYインテリアの背景にはどのような価値観が芽生えていたのかを明らかにする。
 具体的にはDIYに関するアンケート調査を実施、その後さらに検討を進めるために詳細なインタビュー調査を行った。(なお、本研究の前半部分で紹介している内容の一部に関しては、日本デザイン学会第69回春季大会において口頭発表を行っており、本発表はこの時の口頭発表では紹介できなかったアンケート調査の詳細、およびその後に行ったインタビュー調査により新しく得られた知見を加えて、全体的な考察を行っている。)



■プロパガンダ・ポスターを担った忘れられた図案家・岸信男の生涯と活動
田島 奈都子/青梅市立美術館

 1937年に開戦となった日中戦争期以降は、わが国においてもプロパガンダ・ポスターの製作が盛んになったが、その作者としてひときわ多くの作品を手掛けたのが、図案家・岸信男(きし・のぶお、1907?~47)である。
 杉浦非水の弟子として七人社の活動を支え、かつ自身もカルピス製造株式会社の広告部員として活躍した、岸秀雄の末弟にあたる信男は、1933年に早稲田大学理工学部建築学科卒業した、図案家としては異色の経歴を持つ。ただし、1929年に開催された「七人社第4回創作ポスター展」には自身の作品を出品し、早大在学中には実際に自作が印刷されていることから、早くから図案家としての才能は花開いていたといる。
 もっとも、信男の図案家として本格的な活動は、1937年に兄弟3人で自営の図案社・岸スリーブラザース造形美術研究所を起こしてからのことであり、現時点で製作年代が判明し、かつ現存しているプロとしての作品は、1939年以降のものとなる。
 信男の作品の特徴は、サインが入っていなければ、本人の作品とは思えない、表現技法の多様さにある。事実、写実的な油彩画風の作品を描く一方で、エアブラシも巧みに操り、ドイツ人図案家・ルートヴィヒ・ホールヴァインや、新興写真からの影響を感じさせる作品も残している。ただし、残念ながら信男の作品は、全てが彼の完全な創作ではなく、外国作家の作品や既報の写真などを翻案としていることも多かった。
 戦後間もない混乱期の1947年に、持病を悪化させて亡くなった信男は、今日では全く忘れられた図案家である。しかし、1939~44年の足掛け6年間に、ポスター用原画の懸賞募集においてたびたび上位入賞を果たし、結果的に約30種のプロパガンダ・ポスターを世に出した人物は他におらず、信男とその活動は、戦時期の図案家の活動実態として、十分に考察・検証に値すると考える。