第243回 意匠学会研究例会 発表要旨

■戦後日本における着物の価値形成の試み:『美しいキモノ』を中心に
鈴木 彩希/神戸大学大学院

 本発表は、『美しいキモノ』を中心に、グラビア、座談会、随筆を通して、いかなる人々が、いかにして着物を表現しようとしたのかを明示し、ポスト占領期における着物の価値形成の試みについて考察することを目的とする。
 第二次世界大戦後、GHQの指揮のもと国内向けの絹の使用が禁止され、絹の着物は1948年にデパートで陳列されるまで姿を消していた。一方で、国内のアメリカニズムや身体の「民主化」などにより、洋装化は急進する。1950年頃には朝鮮特需による経済復興を基盤に、高級品として扱われた着物の「流行」を新聞が伝えるなど、日常着としての着物は影を潜める。着物を主題とした雑誌や書籍はそうした背景に現出し、編集者、呉服店、女優、服飾デザイナーなどが携わっていた。
 それまで着物を主題としたメディアは和裁指南書が主であったが、色刷技術の向上とともに1951年以降に豊富なグラビアを用いた『私たちのきもの』(1951)や『新和服読本』(1953)などの着物を魅せるものが登場する。そうした潮流の中で、1953年に『美しいキモノ』が創刊されるのである。
 そこに登場するモデルは、洋服着用のモデルとは対比的に「動き」を排除したポージングで、「日本性」を表す小道具とともに表れる。さらには、着物が「日本独自」の美を包有するとした言説が頻出する。一方で、欧米人の視座から着物を評価する記事や、洋裁技術を用いた「新しいキモノ」がアメリカ人モデルを起用し頻繁に登場し、占領期においてより高められた制作側と読者に内在する憧憬が言語化および視覚化されているのである。しかし、そうした憧憬の介在ゆえに着物の一義的な価値が「日本独自」であることに、より強固に結び付けられているのである。
 『美しいキモノ』は、着物衰退の危機感と着物の伝統的な文化性を主張するものであった。そして、連合国軍の占領を経た社会において、「日本文化」へと体系化される着物の姿と、国際社会に対し「日本」の存在とその価値を示そうとする社会を浮き彫りにしているのである。



■映画『華麗なる賭け』におけるミシェル・ルグランの演出手法
倉田 麻里絵/関西学院大学大学院

 映画『華麗なる賭け』(1967年)は、音楽監督ミシェル・ルグランの音楽を軸に映像が編集された作品である。この製作手順は、彼が音楽を依頼された時点で難航していた映像の編集作業に対する打開策として、ルグランが提案したものだった。彼は作曲後に、この編集作業にも参加した。本作の監督ノーマン・ジュイソンは、このような特殊な製作手順について、2人の登場人物がけん制しあう「チェスのシーン」を挙げ、「音楽と映像編集の完璧なマリアージュだった」(Lerouge 2005: 20)と述べている。
 しかしながら、本作についての先行研究およびルグラン研究には、「チェスのシーン」の演出を緻密に分析するものはあまりなかった。それは、本作の演出には作曲者ルグランの意図が反映されている、という特殊な製作手順がもたらした事柄がひろく認識されていなかったためだろう。そこで、本発表では「チェスのシーン」の演出手法から、本作におけるルグランの作曲意図を検討する。その結果、このシーンの演出は、その後にある2人の登場人物がデートをする様子をモンタージュで見せるシーンのための下地になっていることが明らかになる。
 「チェスのシーン」の演出には、繰り返し用いられる音楽モティーフが指す内容を、映像編集によって強調しようとする意図が感じられる。そのために、音楽と映像の動きは多くの点で調和するように編集されている。一方、「チェスのシーン」と同じく台詞のない「デートのシーン」では、その音楽モティーフを用いた楽曲群が流れた順番を利用して物語の次なる展開が示唆される。これらの楽曲は本作に用いられた順番の逆順で用いられ、それを視覚的に表すように、映像も部分的に既出のものが現れる。これは、音楽を軸に映像編集がされたことを顕著に表すものである。このような2段階の演出手法からは、ルグランが映画音楽の作曲家としての領域を超えて、映画の演出をも構想していたことがわかる。