第215回意匠学会研究例会 発表要旨

■フィンランドにおける構成主義の受容
谷本尚子/関西学院大学

 ロシアに源流を持つ構成主義運動は、中欧ヨーロッパにおいてはほぼ同時代的に
受容され、各国独自の変容を見せた。しかしロシア革命により1917年12月31日に
独立を宣言したフィンランドでは、指導者達は国際的な構成主義の方向を容認せず、
国家浪漫主義的な方向を自国の芸術と認識していた。特に1918年のフィンランド市民
戦争において、赤衛軍と呼ばれた急進派の左派勢力との内戦により、フィンランドと
ロシアの繋がりは断絶する。フィンランドでの構成主義の受容が遅れた理由の一つ目は、
こうした政治的理由が挙げられる。
 フィンランドで構成主義運動の受容が遅れた理由の二つ目は、工業化が1950年代
まで遅れたことが挙げられる。一部の有能なデザイナーA.アアルトやP.テュネル等を
除いて、工業デザインにおいても1940年代のフィンランドデザインは工芸的伝統を
引き継いでいた。建築に於ける機能主義的傾向、ヴェスニン兄弟やE.リシツキーの影響と
考えられるダイナミックな構造物が実現するのは、1960年代であった。
 しかしロシアに端を発する幾何学的抽象芸術としての絵画や彫刻に関する構成主義の
受容は、1910年代から始まり、1950年代には独自の世界観を表すに至っている。
 フィンランドの構成主義という概念については、1970年代初めより後になって
定義されたものと考えられる。1974年春、ヘルシンキのアモス・アンダーソン美術館にて
フィンランドの構成主義展が初めて開催された。その後、1979年テキサス大学付属美術館
で、1980年ハンガリー・ナショナル・ギャラリーで開かれている。本発表ではこの二つの
展覧会カタログを参照し、フィンランドにおける構成主義芸術の受容について考察したい。



■俳句的アート解釈
山口良臣/名古屋市立大学

 昨年の秋、市民向け公開講座を担当することになって、二十世紀美術に触れる必要が
あった。なかでも、ダダやダダ的なもの、さらに抽象表現主義をどう説明したらよいか
考え込んでしまった。たとえば、デュシャンの便器。本来それが置かれる場所から引き離され、
全く異なった場所に置かれれば、まるで違った見え方をすると言ったところで、だから何なの
と聞かれれば、後が続かない。美術史上の位置づけなり、背景を説明するにしても、「だから
何なの?」が解消されるわけでもない。確定した答を見つける必要などもちろんないのだが、
「だから何なの?」を考えるための手がかりは示したい。
 グリーンバーグは、抽象絵画が絵画の純粋性を追い求めるのに対して、シュルレアリスムを
「外部の」主題の復活を企てる反動的傾向とみなす。一方、レヴィ=ストロースは、抽象絵画には
意味論的範疇の現実をもたらすという芸術作品の本質的属性が欠けていると言って批判し、
レディ・メイドのオブジェを言語ととらえ、通常の言語と芸術との差異に言及している。
ボードリヤールは、レディ・メイドがひとつのアイデア、記号、暗示、概念であって、何も意味
していないが、それでもなお〔意味しないという〕意味作用を含んでいると述べる。手がかりを
求めるとすれば、やはり、意味作用の問題として考えるしかないだろう。
 芸術作品と呼ばれているものの意味は、大抵の場合、見る者が勝手に想像するしかない。
レディ・メイドの場合は特にそうだが、作品それ自体は、メタメッセージの状態に留め置かれて
いる。「俳句」もまた、同様のあり方をしている。
 俳人の坪内稔典氏は次のように書く。「俳句はほとんど片言に近い。片言は、それを受け
とる受け手(読者)によって補完される。補完されてはじめて意味を持つのだ。つまり、片言
としての俳句は自己を表現する詩形ではない。」
 俳句が、アート解釈の手がかりとして使えるのではないか?俳句的アート解釈の試み。